2.0
エロ・グロ・ナッシング
昭和はまだ戦前の頃、「エロ・グロ・ナンセンス」なんて言葉が流行した。
江戸川乱歩や夢野久作が「ナンセンス」と呼ばれていたのかと思うと、正直うーむとなるのだが、それになぞらえて、この漫画のような作品を私は今後「エロ・グロ・ナッシング」と呼ぼうと思う。
エロ・グロ以外には、何もない、マジで何もない、ということで。
断っておくが、決して否定的な意味合いだけでこの言葉を使うのではない。
私は「エロ・グロ・ナッシング」自体を非難する気は毛頭ないし、正直、そういう作品もあっていい、誤解を恐れずに言えば、あってほしい、とすら思っている。
空っぽなものを空っぽであるがゆえに楽しめる、というのも、フィクションのひとつの素晴らしいところではないか、と思うからだ。
しかしまあ、残念ながら、全然楽しくない。
「ただのエロ・グロじゃん」と貶められようが罵られようが、描きたいものを描ききるんだ、という意志や偏執みたいなもの、ちょっと大袈裟に言えば、作品に対する愛情を、感じない。
むしろ逆で、作者は本当にエロ・グロなんか描きたいのかな、と私は疑ってしまった。
「役に立たないものは、愛するしかないじゃないか」という私の好きな言葉がある。
ナッシングなのだから、どうせ役には立たないのだから、せめてそれを描く人間が愛情を持たなかったなら、受け取る側には本当に何も届かない。
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