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自由と責任と金田一少年
夫がろくな人間ではない、ということには何の異論もない。
世の中にこういう夫婦が多くあって、苦しみながら何とか生活している妻が多くいることにも異論はない。
その痛みが生半可なものではないことにも、本当に、異論はない。
ただ、申し訳ないが、自分の不幸を他人のせいにする大人が、私はどうしても好きになれない。
現代の日本社会には問題もたくさんあるが、素晴らしいこともいっぱいあって、そのひとつは、基本的には互いの自由意志に基づいて結婚ができる、ということだ。
自分の生きたい相手と一生を共にする自由がある、ということだ。
これほど素敵なことが他にあるか、と私は思う。
少なくとも、江戸時代はこうはいかなかったのだ。
それほど素晴らしい自由であるから、当然、そこには責任がつきまとう。
結果的にどんな相手だったのであれ、どんな経緯や偽りがあったのであれ、選んだのは、自分であるはずだ。
仮に、結婚してみたらアル中でヤク中のバイオレンス野郎だった、という場合ですら、選んだのは、自分なのだ。
その重大な責任を置いといて、「結婚したら変わってしまった」とか、安直に被害者ヅラするのが、私は嫌いだ。
ある人が「この人と幸せになりたい、じゃなくて、この人とだったら不幸になってもいい、っていうのが、愛なんじゃないかしら」と言ったそうだ。
それは、極端かもしれないが、ある部分、完璧に正しい気もする。
酷い人間だから別れたい、ではなくて、酷い人間であってもこの人がいい、というのが夫婦なのではないか、と私は思う。
いや、そうではない、というならば、その結婚はやはり、失敗という他にない。
ただし、大人がどんなに失敗を悔いようが、その大人の姿を見て生きる子どもがそこにいるということは、肝に銘じておかなくてはならない。
中学生のときに読んだ『金田一少年の事件簿』で、金田一君が「自分の不幸を他人のせいにするのは、ガキだって言ってんだよ!」と言っていた。
そのときから、私はずっとそう信じてきたし、これからも信じていきたい。
ありがとう、金田一少年。
漫画って、いいなあ。
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