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作品レビュー
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21 - 30件目/全107件

  1. 評価:5.000 5.0

    死者と踊るダンスポップ

    人の死が一日前に「見えて」しまう少女のストーリー。

    以前、この作者の「死にあるき」という漫画のレビューで、私は「主人公の朱鷺子は他のどの漫画のキャラクターとも明確に違う、そのキャラクターの完成度は突出しているが、漫画としての表現が追いついていないように思う」という意味のことを偉そうに書いた。
    本作で、作者は、飛んだ。
    それは、ほとんど驚愕を覚えるほどの飛翔だった。

    まず、画力の著しい向上。
    何と言っても、これに尽きる。
    最初、私は同じ作者の漫画だとわからなかった。
    読んでいくうちに、死を巡る表現に既視感を覚えて、もしや、と思って確認して、「死にあるき」の人だ、とやっとわかった。

    主人公の造形も、全く違う。
    皐月は、朱鷺子ほど強くなれないし、冷たくもなれない。
    朱鷺子のように圧倒的にぶれない軸もないし、達観もしていない。
    私たちの多くと同じように、傷つき、迷い、それでも目の前の誰かを死なせまいと、死の影にまみれながら、懸命に生きようとしている、その健気さと、可愛らしさ。
    朱鷺子は、絶対的に孤独だった。
    しかし本作は、本来誰にも理解されないはずの皐月を、決して独りにはしなかった。
    その選択は、正解だったのではないかと私は思う。

    「死にあるき」が、ただ死を見つめ、死者の中を闊歩する少女の物語だったとすれば、本作は、死者のど真ん中で、ただ死を見つめることなんか出来ないと心に決めている少女の物語である。

    「死にあるき」は、絵としても、作品のトーンとしても、どちらかと言えば陰鬱で、そこはかとなくカルト作品の雰囲気を漂わせていた。
    だが、本作は、考えられないくらいポップな地平で展開される。
    徹底的に死を扱いながら、これほどまでにポップな作品なんて、他にコナン君くらいのものではなかろうか。
    それでいて、死を巡る切れ味鋭い作品の展開は、バリバリに健在である。

    そこには、賛否あるだろうと思う。
    よくも悪くも、「死にあるき」の朱鷺子、あの「寄らば斬る」とでもいうような尖った魅力があるかと言えば、ノーである。
    ゴリゴリのパンクロッカーが、ダンスポップをやり出したような違和感も、ちょっとある。
    だが、そのダンスポップの中には、パンクロックの精神が、確かに生きている。
    私はそう思うから、この素晴らしいポップソングを、心の底から称賛する。

    • 6
  2. 評価:5.000 5.0

    こんなホラーにはきっと二度と逢えない

    金が必要な二人の女子が様々な裏バイトに手を出すのだが、毎回そのバイトがホラーである、という漫画。

    あまりに凄い作品で、脳が何かしらのダメージを受けたような気さえした。
    これ以上のホラー漫画というのを、ちょっと思いつけない。

    恐怖の題材とその語り口も、また、恐怖描写そのものも、オリジナリティーとバリエーションが突出している。
    ホラー漫画は結構読んできたが、どこでも見たことがない、というホラー表現をこれだけ連発された記憶がない。

    それでいて、グロ描写には全く依存していない。
    本作はホラーを「気持ち悪い」にも「痛い」にもすり替えない。
    ただただ、愚直なまでに、あるいは崇高なまでに、「怖い」で勝負しようとし、そして、圧勝している。

    恐怖に殉ずる。
    その気高さと、圧倒的な自信と、技術。

    主人公二人のゆるい雰囲気と、硬質なホラー描写の絶妙なバランスといい、はっきり言ってセンスの塊のような漫画だし、あまりに完成されすぎていて、ホラーとは別の意味で、何だか怖い。
    読む者すら拒絶するような完璧さを感じてしまう。

    この世に、まだ私の知らなかったホラー表現がこれほど豊富にあったことに、そして、それがたった一人の人間によって生み出されているという事実に、私はホラーファンとして、心の底から感動した。

    ホラー漫画が本当に怖かったのなんて、子どもの頃だけだ。
    もうあの気持ちは永遠に戻らない。
    それは、ずっとわかっていた。
    わかっていて、それでも私は、惰性のような愛着だか愛情だかを捨てきれずに、ホラー漫画を読み続けてきた。

    この漫画に感動できたのは、数多のホラーを読み漁ってきたからこそだ。
    これが初めて読んだホラー漫画だったなら、私はここまで深く何かを感じることは出来なかった。

    幼い頃のような恐怖は味わえなくても、何度飽きても失望しても、ホラーを読むのをやめなくて、本当によかったと思った。

    ホラー漫画を読んでそんなことを感じたのは初めてだし、二度とないだろう。

    • 88
  3. 評価:5.000 5.0

    抜群の構成力

    同窓会、という名目で廃校に集められた高校生たち。
    そこで始まるデスゲーム。
    というあらすじを読んだだけで、サスペンス漫画にある程度通じた読者なら、「ああ、またそういう系ね」と思うだろう。
    私もそうだった。

    事実、本作は、「そういう系」の漫画のお約束というか、突っ込みどころというか、「もう飽きたよそういうの」という要素をことごとく備えている。

    硫酸を自動で噴射する装置や携帯の電波を妨害する装置が都合よく閉鎖空間を作り出し、圧倒的な頭脳と人心掌握力とトチ狂った価値観を持つサイコ高校生が登場し、追い詰められた高校生たちがいともたやすく過剰なまでに狂い出す。

    もういいよ、そういうのは。

    それは確かにそうなのだ。
    そうなのだが、この漫画には、掃いて捨てるほど量産されている「そういう系」の作品の中で、圧倒的に優れた点がひとつある。
    それは、構成力である。
    この構成力は、素晴らしい。

    本作は、現在進行形ではなく、既に終わった事件を、生存者たちが語る、という形式で描かれている。
    サスペンス映画では珍しくない手法で、「ユージュアル・サスペクツ」なんかはその最高傑作だと思うが、漫画でこの手の構成をこれほど巧妙に利用した作品を、私は他に知らない。

    事件を生存者たちが語る中で、「おいおい、それをここでばらしちゃっていいんかいな」という、一種のネタバレが、ちょくちょくある。
    しかしもちろん、それは本当のネタバレにはなっていなくて、真のネタバレのサプライズを増すのに一役買っている。
    あるいは、その途中のネタバレ自体が、巧みなミスリードになっている。
    読者としては、「この先はわかっていたはずなのに、わかっていなかった」というような体験を連続して味わうことになり、これが実に魅力的である。

    トータルとしては「どこかで見たような」材料ばかりなのに、私はどうしても読むのをやめられなかった。

    「そういう系」とか言ってなめていた私が間違っていた。
    その反省と自戒を込めて、星をひとつ、足した。

    • 18
  4. 評価:5.000 5.0

    幸福な読者体験

    今更だが、「流行っている殺し屋の漫画」ということ以外、何も知らずに何となく読み始めた。
    結果的には、事前に何の情報もなく読めたことが幸運だったとしか言いようがない。

    全く新しいジャンルに、というか、ジャンル分け不能の斬新さに、度肝を抜かれた。
    何だこれは。

    天性の殺し屋でありながら、一年間のモラトリアムみたいな期間を与えられた男。
    彼を巡って暗躍する魑魅魍魎たちの世界を描いたアンダーグラウンドのリアリティーに溢れるスリリングな作品でありながら、同時に、「ズレた男」の日常を綴る一流のギャグ漫画だった。
    そんなのが完璧に両立するなんて、信じられない。
    読みまくった今でも、信じられない。

    ただ、その根っこは、同じだと思った。
    裏社会のバイオレンス漫画としてのリアリティーを支えているのも、奇妙なコメディとしての抜群の完成度を支えているのも、根っこは、同じだ。
    それは、多分野に対する圧倒的な造詣の深さと、観察力、何より、ヤクザもカタギも超えた、人間に対する理解の深さだと思う。
    いったいどんな人生を送ってきた作者なのだろう。

    個人的に気に入ったのは、主人公が「日常」をとても慈しんでいる点だ。
    殺し屋稼業に生きてきた彼にとっては、私たちにとって当たり前に映る、ともすれば退屈な日常が、特別で、尊い。
    このあたり、普通に生きている今日、同じようにやってくる明日をどう受け止めて生きるか、ということについて、さりげないメッセージが流れているような気もした。
    私は、彼の平和な日常が、いつまでも続いてほしいと願った。
    しかし、一年が過ぎたら殺し屋に戻るのか、という質問に、彼は迷わず、特に何の感情も込めず、そうする、答える。
    それしか出来ないから、と。
    生きてゆくということは、きっと誰にとっても、容易ではないのだ。
    かつて、麻雀の神様が書いていた。
    誰だって、自分の持っている能力と全く無縁で生きてゆけるほどの余裕はないんだ、と。
    そういうことを、この漫画はあくまでサラッと描いている。
    そこがスマートだし、カッコいい。

    嗚呼、何も知らずに読めて、幸せだった。
    ときどき、素晴らしい作品との出会い、プラスアルファで、タイミングという運が重なって、私たちには、とても幸福な読者としての体験がやってくる。
    私にとっては、「ザ・ファブル」が、それだった。

    • 85
  5. 評価:5.000 5.0

    最後に愛が勝つために

    私は、この作者の「親愛なるA嬢へのミステリー」が大好きで、正直、本作はそれには及ばないかと思った。
    それにしても、素晴らしかった。

    幼い頃に別れた兄への強烈な思慕を抱きながら生きる主人公。
    いつしかバイト先の同僚と惹かれ合うが、彼は兄を殺した男で…というストーリー。

    まず、物語の展開力と吸引力が素晴らしく、そのリズム、テンポ、緩急、起伏、濃淡、もう完璧という他にない。
    一気に読む以外に選択肢がないくらい、圧倒的な筆力に魅せられる。

    そして、描かれる愛の形、が素晴らしい。

    「親愛なるA嬢へのミステリー」でも同じことを感じたが、この作者が綴る愛の形は、一筋縄ではいかない。
    よく漫画の中にあるような、クリーンで、キュートで、煌めくだけの愛は、この作品にはない。
    「愛に生きるのはそんなに甘くないぜ」と語るような作品だと思った。

    愛は、とても強くて美しくて、でも、怖いものだ。
    その強さと美しさゆえに、ときには排他的にも狂暴にもなれるからだ。

    ちょっと差別的な言い方をするけれど、人生は少女漫画ではないから、ある日突然キラキラで永遠の愛が空から降ってくるわけじゃない。
    「必ず最後に愛は勝つ」ほどイージーモードでもない。
    それは約束された結末ではなくて、最後に愛が勝つためには、何かを捨てたり損なったりしながら、ときには醜悪にも残酷にもなれなくちゃいけない。
    それをきちんと引き受ける作品の勇気と気高さに、私は泣いた。

    この漫画の二人は、嘘も、秘密も、欺瞞も、障害となる者たちを容赦なく切り捨てる冷酷さも、過去を、下手したら現在すらも改竄してしまう罪深さも、そういう全てを背負いながら、全てを受け止めながら、そして何より、そういう全てを必死で許し合いながら、互いのことだけは失うまいと、懸命に生きようとしていた。
    それがつまり、愛し合う、ということなんじゃないか。

    私はそう思うから、この漫画の二人を、永遠に祝福する。

    • 8
  6. 評価:5.000 5.0

    静かで怖い「普通の」群像劇

    以前、この作者の別の漫画を読んで、それはもう滅茶苦茶に非難するレビューを書いた。
    が、本作は素晴らしかった。

    ストーリーは、「消えたママ友」の周囲の人々(主にママ友三人)の視点で展開する。
    私はママ友の世界からは縁遠い場所にいるが、一人一人の登場人物やその関係性、日常のリアリティーが半端ではなく、一気に引き込まれた。
    また、三人の語りの視点の切り替えのタイミングとテンポのよさは絶妙で、一息に読まされてしまった。
    これはもう、群像劇として一級品だと思う。

    作品の雰囲気としては、日常の中にあるサスペンス、といった風情で、消えたママ友の謎を追う中で、ママ友、夫婦、嫁姑、それぞれの関係性における、秘密や暗部が少しずつ明らかになっていく。
    その描き方も、やたらスキャンダラスに暴き立てるのではなく、人間の繋がりのもろさや、表面的な付き合いの虚しさを静かに綴るタッチで、好感が持てる。
    誰もが「普通に」嘘や闇を抱えて、「普通に」生きている、その淡々とした提示が素晴らしい。

    正直、こういう「雑な絵」の漫画は好みではないのだが、悲しく不穏でうすら寒い作品のトーンと、シンプルで呑気な絵柄は、いい意味でのミスマッチになっているような気もした。

    特筆すべきはツバサ君の描き方で、大人の抱える悪意や歪みが「伝染」したかのようなその造形は、実に悪趣味で、怖い。
    子どもについて、何かがおかしいのに誰もその破綻をつかめていないし止められない、それは、目を背けたくなるような冷たい現実だ。
    特に、最終話でツバサ君が祖母と父親に放つ台詞は、いくぶん漫画的な寓意はあるにせよ、恐ろしく、素晴らしい。

    • 20
  7. 評価:5.000 5.0

    美醜の果て

    主人公は交通事故で顔に怪我を負い、それを治そうと無茶な整形に手を染めて妖怪のような外見になり、夫に捨てられるのだが、夫の新しい職場に次々と現れては、彼の新生活を破綻させる。
    怖すぎ。

    ただまあ、このへんの描き方は完全にギャグで、主人公の女は、夫の職場に置かれた新装開店祝いの花の中から現れたり、夫が新たに恋に落ちた女を夫の好みでないように整形させたり、発想力とバイタリティーが半端ではなく、私はゲラゲラ笑いながら楽しく読んだ。
    そして、変わり果てた妻を見る度に吐く夫。
    どんだけ胃腸が弱いんだお前は。
    だいたい、いくら整形手術に失敗したからといって、そうはならないだろ。
    骨格変わってるもん。

    そんな中で、この漫画の着地点は、どこになるのかな、と思いながら読み続けた。

    私は、生まれも育ちも外見も、全て「才能」の一種だと思っている。
    突出した頭脳や運動神経の持ち主がもてはやされるのだから、美しい外見の人がもてはやされるのも、当たり前だと思う。
    それを「容姿差別」だとか何とか騒ぐ風潮というのは、本当に下らないと思うし、「見た目で人を判断するのはよくない」みたいな論調はクソ喰らえと思っている。
    どうせお前らジャイ子よりスカーレット・ヨハンソンを選ぶくせに。
    スカーレット・ヨハンソンの内面知ってんのかよ。
    私は知らない。

    まあ、それはいい。
    それはいいのだが、美醜のせめぎ合いの果てに本作が行き着いたのは、「外見より中身よね」とか、「やっぱり見た目よね」とか、そういう次元ではなかった。
    これは、見た目も中身もひっくるめて、人間の醜さを許すというか、醜さを愛する、という漫画ではないかと思った。
    もっと言えば、愛するっていうのは、その人の醜さを含めて受け入れるってことなんじゃないかしら、という漫画ではないかと思った。

    「美しさは皮一枚、醜さは骨の髄まで」という言葉がある。
    この漫画は、その「皮一枚」に縛られて生きる愚かな私たちの、愛の物語なのだと思う。

    あれ?
    祝いの花から妖怪が現れるコメディ路線に流れたのに、いつの間にそんな、崇高さすら漂う愛の物語に辿り着いたのだろう。
    何だが狐につままれたような気分だが、こういうのを、漫画の力業と言うのだと思う。
    星5つはあげすぎな気もしたが、半ば強引に感動させられてしまったので、これはもう、私の負けである。

    • 4
  8. 評価:5.000 5.0

    細部と、哲学と

    「闇金ウシジマくん」が終わってしまい、ファンであった私はちょっとしたウシジマくんロスに陥っていたが、その穴を埋めるような快作がスタートして、胸が躍った。

    いささか語弊はあるが、「悪徳弁護士が主人公の闇金ウシジマくん」とイメージしてもらって構わないかと思う。

    「闇金ウシジマくん」でもそうだったが、作品の骨子を支えるのは、裏社会の圧倒的なディテールである。
    この作者は、マジで取材の鬼だと思う。
    もちろん、私たちの多くは裏社会の実情に詳しくないし、現実がこの漫画のとおりなのかはわからない、というか、多分、そんなわけはなくて、いくぶん漫画的な誇張やデフォルメはあるのだろう。
    しかし、一般読者としては「うわ、マジでこんなことありそう。知らんけど」と思うしかない、そういうレベルのリアリティーを、脚色を含めて作品の中に構築するのが、この作者は非常に上手い。

    以前、「闇金ウシジマくん」のレビューの中で、「子どもですら単純な勧善懲悪なんか信じない時代に、ウシジマくんがヒーローになり得たのは、明確な哲学を持っているからだ」という意味のことを書いたが、その点は、本作の主人公である九条も全く同じだ。
    「私は依頼人を貴賤や善悪で選別しない」
    「法律の世話はできるが、人生の面倒は見られない」
    世間一般の倫理観からは外れているが、九条はあくまで自分の哲学を守って生きている。
    九条の横顔にウシジマくんの姿がだぶって、私はちょっと感動してしまった。
    この感慨は、「闇金ウシジマくん」を最後まで読んだファンなら、わかってくれるのではないかと思う。

    また、相変わらず、ダークでありなら、きっちりエンターテイメントとして成立させる手腕も素晴らしい。

    ウシジマくんなき時代に、新たなダークヒーローの誕生を告げる、期待度抜群の作品。
    ウシジマくんファンは、必読である。

    • 40
  9. 評価:5.000 5.0

    憂鬱なるサバイバー

    事故や災害だけではなく、虐待などの過酷な経験を生き延びた人のことも「サバイバー」と呼ぶそうだ。
    本作の主人公である雪はそんなサバイバーであり、彼女代行のバイトで収入を得ている。

    ときどき思うのだが、単純明快な正義や勇気や夢や希望に生きる主人公がヒーローやヒロインになるには、現代はいささか複雑になりすぎたような気がする。
    そして、私たちはいささか「知りすぎた」ような気がする。
    それは例えば、正義の名の下に行使される独善的な暴力や、叶えられた一握りの夢の輝きに隠れて散ってゆく者たちの末路や、希望という仮面を被った悪辣なビジネスや、そういう何やかやだ。
    そういう有象無象の悪意や欺瞞に対して、私たちは賢くなりすぎたし、疑うことを覚えすぎた。

    そんな時代にあって、いったいどんな人間が、フィクションのヒーロー/ヒロインになり得るのか。
    その答えのひとつが、意志と哲学ではないかと私は思う。
    世間の常識や道徳や慣習とは関係なく、自分の明確なルールがあり、何があろうとそれを守る。
    「闇金ウシジマ君」はそういう種類の現代のヒーローだと思うし、全く別の漫画だけれど、私には、本作の雪とウシジマ君がだぶって見えた。
    そういう意味で、彼女は、まさに現代漫画のヒロインだと思う。

    特に最初のエピソードには、彼女の生き方が凝縮されていて、その強さと悲しさに、激しく胸を打たれた。

    雪は、夢も希望も信じていない。
    そして何より、愛を信じていない。
    彼女が本当に信じているのは、金だけだ。

    しかし、こういう言い方は本当に傲慢で嫌なのだけれど、それは、間違いだ、と私は思う。

    私がそんなふうに思えるのは、きっと、雪のようなサバイバーになる必要がない、甘く幸運な人生を歩んでこられたからなのだろう。
    まあ、それは認める。
    認めるが、思うのだ。
    全てを疑っても、愛だと信じたものが愛ではなかった、という経験を何度重ねても、愛が消える瞬間をこの目で見ても、それでも、愛だけは疑っちゃいけない、と。
    それが、私の哲学だ。

    生き延びることに、価値はある。
    でも、生き延びた先にあったものが金だけだったなら、「生き延びてよかった」なんて、思えるだろうか。

    だから、私はいつか、雪が愛を信じられる日が来ることを願って、この漫画を読み続ける。
    強く、冷たい、この憂鬱なるサバイバーが、いつの日か、愛を知ることを夢見て。

    • 24
  10. 評価:5.000 5.0

    ざわつく心の空の色

    説明不能の「心がざわつく」思春期コミック、というのが売り文句だが、このコピーは完璧だと思う。

    漫画の表現として、圧倒的に斬新だ。
    この唯一無二ぶりは、突出している。
    本作と似ている漫画を読んだことがない。
    というか、きっと、無理なのだ。
    例えば、「ドラゴンボール」や「スラムダンク」や「ジョジョの奇妙な冒険」を真似することは出来ても(そのクオリティーは別にして)、この漫画を真似することは、多分、出来ない。
    それほどまでに、突き抜けたオリジナリティーである。

    そして本作は、おそらく私が読んだ全ての漫画の中で、最も説明が困難な作品でもある。
    「どんな漫画なのか」と問われても、私は、答えられない。
    また、「読んでどんな気持ちになったか」と問われても、答えられない。

    悲しみとも、苛立ちとも、怒りとも、切なさとも、歯がゆさとも、違う気がする。
    それでいて、その全てがあるような気もする。
    敢えて言うなら、まさに「心がざわつく」ということになるかと思う。

    もしかしたらそのざわつきは、決して言葉に出来ない想いに囚われながら我々が過ごした、思春期という時代そのものの影なのかもしれない。
    私たちがこの作品の中に見るのは、かつて自らが抱いていた、名前も行き場もない、若い想いの欠片なのかもしれない。
    そういう意味では、これほど克明に「あの時代」を描いた漫画というのは、他にないのではないかと思う。

    そういえば、「あの頃」に私たちが眺めていた心の空は、白にも黒にも染まらないまま、何となく、灰色だったような気がする。

    • 6
全ての内容:★★★★★ 21 - 30件目/全107件

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