4.0
胸が苦しい
まだ途中ですが、自分も中高いじめられていたので小春ちゃんの気持ちが解る。親になって、息子も学校でお友達とトラブルで学校に行きたくないと泣きながら訴えてきたことがあり「行きたくなければ行かなくていいよ」って学校サボって二人で遊びに行ったことを思い出した。幸い気持ちを切り替えて次の日は元気に学校に行きましたが、ホントにやった奴は軽い気持ちなんだろうが、やられた側は一生のトラウマにになります。今だに自分は人間嫌い!極力人とは関わりたくないです。
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まだ途中ですが、自分も中高いじめられていたので小春ちゃんの気持ちが解る。親になって、息子も学校でお友達とトラブルで学校に行きたくないと泣きながら訴えてきたことがあり「行きたくなければ行かなくていいよ」って学校サボって二人で遊びに行ったことを思い出した。幸い気持ちを切り替えて次の日は元気に学校に行きましたが、ホントにやった奴は軽い気持ちなんだろうが、やられた側は一生のトラウマにになります。今だに自分は人間嫌い!極力人とは関わりたくないです。
自分や子どものいじめ被害体験に結びつけて被害者側の視点からのみ書かれているレビューが目立ちますね
まあ私もいじめを受けた経験があるので気持ちはすごくわかります
でも、この漫画から受ける感想ってそれだけで終わっちゃいけない気がします
大学に在籍していた頃、こういう問題について話し合ったことがありました
いじめの被害と加害、子どもがそのどちらもを経験する割合は大人が思う以上に多いんだそうで
子ども達の作った社会の中で、特別誰がという感じでもなく些細なきっかけから始まっちゃう
あくまでも周囲の見聞きした話ですが、作中の愛ちゃんみたいになるケースもままあるようでした
被害者はもちろんですが、加害者側の中で突出する(=悪目立ちする)ヤツも結局は学校社会の中では「うまくやれてない」人なのかもしれません
で、その時に、いじめ被害経験者の自分は果たしてどうだろうかと考えました
小学生やそれ以前まで覚えてる限りで振り返り、まったく誰かを傷つけたことが無かったか、誰かが私にいじめられたと感じることは無かったのか
無いと自信を持って言う事はできなかった
そのつもりが無くても相手がどう感じていただろうか
おそらく大半の人は私と同じだと思います
無いと言い切れる方は失礼ながら己を見返した方がよろしいかと
作中でSNSの書込が出てきた時、正直「流れ変わったな」と思いました
私が子どもの頃とは明確な違いがひとつあって、それがSNSです
学校で起きたことはもう学校の閉じた世界で終わる時代じゃないんですよね、いじめも体罰も
良いことだと思いますが、反面すごく怖いと感じることも多くなりました
作中でもそれが被害者側の武器になり、傍観者が石を投げるための隠れ蓑になり、加害者に向けた凶器になりました
アレはいじめの道具にも復讐の道具にも誰かを陥れる道具にもなります
子どもは大人が思うよりずっと賢くSNSをうまく使いこなしますね
私が子どもの頃にSNSが無くて(裏サイトはあったでしょうが)本当に良かったと思います
SNSには徹底的に人を追い詰める力があります
我々が過去の自分自身を棚に上げて、正義感やある種の義務感を持ってそれに書き込み誰かを断罪しようという時、その行為が教室の中で子ども達がただ一人に対して行う行為と何が違うのか
それをよく考える必要があるとこの作品を読んであらためて感じました
いじめってどこからがいじめ?ってとても思う。
親同士で解決は1番良く無い。
メガネの親がまさに暴走しすぎ。
愛親も、愛ちゃんに怒っても良いけど
なんでそんな事をしたのかを聞いて欲しかった。
何事にも理由あるよね?そこから解決する方法考えるよね?
理由なく何かやったならカウンセリング。
無差別さつじんとかおこす系か、心に病みを抱えてる
弱い者を傷付けて楽しむサイコパスとか。
↑自分は昔いじめられてたってレビューで書いてる人
の相手は全員こーゆーサイコパスかな?
昔ってどこまで昔か分からないけど
今でいう虐待とか体罰とか大事じゃない昔って
それが当たり前に起きてて病みを持つ子って多かったよねきっと。
家庭環境で病みを抱えてる。←それも理由。
何事にも理由があって、その原因を解決しないとダメ。
いじめ。だけで片付けないで欲しい。
愛ちゃん、小春ちゃんはまだこども
元々仲良しだったのなら、お互いが2人きりでぶつかり合うことでもしかしたら和解、離別を選べたんじゃないかと思う。
決して悪いことではないけど
大人の世界に問題を持ち込んだことで、世間を巻き込んで、問題が当事者だけでは収まらなくなった。
第三者は関係がないからこそ、力一杯人を責める。
免罪符を手に入れて、正義と悪が分かれたら、人は正義側に立ちたいと思う。責めていい人間が出来上がれば、正しい立場を利用して人を責めたい。それが人間の本質だと思った。
でもそれっていじめられてもやり返さない人を一方的に虐めるとの何が違うの?って思う。
それに当事者の子どもの気持ちを無視して、大人達が勝手に騒ぎすぎ。
小学生の時に、私は仲良しの子を無視したこともあったし、悪口を言われて仲間外れにされたこともあった。
中学生の時は、虐められてる子に無関心で、手を差し伸べることも悪口を言うこともしなかった。
高校生の時は、クラスメイトから揶揄われたりバカにされたり、同等には扱ってもらえなかった。
だからこそ許せないほど酷いことをされて復讐したいと思うのならそれも一つの選択で、私が無視した子や無関心だったその子に復讐されるなら仕方ないって思うよ。
加害者は、それ相応の罰を受けて然るべきだとも思う。大なり小なり、学生の時って誰かを蔑ろにしたり、されたりってことがあるあるなんだと思うし、結局は同調圧力に巻き込まれる人の方がタチが悪い。
人と関わる上で学ばなければいけないことは、人間としてしてはいけないラインを知ることだと思う。今なら、人に屈することなく
誰にでも同じように話しかけることができる筈なのにって後悔する。
いじめは一方的で一方通行。
虐められる側の言葉も、想いも、人間性も無視されていることだから
この作品の愛ちゃんは、許さないという言葉を貰えただけよかったと思う。それを抱えて生き方を見つめていけるから。小春ちゃんも最後に許さないという意思を伝えられて、やっとお互いが会話をする事が出来たんだと思った。
いじめの被害者、加害者ではなく、人間として歩み寄れた気がした。
宣伝で気になって全話読みました。
子供を持つ親としてとても考えさせられました。でも実際に当事者にならないと所詮はどこか他人事であって、当事者の心を切り刻まれるような真の痛みは分からないのかと思います。
しかし漫画を通して少しでも心の近くに寄り添えたらと感じます。
本当にリアル過ぎて、心が痛みました。
うちもまさに、愛ちゃんの家庭になってしまいました。
相手に怪我はさせていないけれど、うちの娘とのトラブルで、相手方が泣いていたという知人情報に激怒したお母さんから、直接、怒りの電話があり本当に驚きました。
うちはたまたま連絡先を知っていた為、かかってきたのだと思います。
娘に話を聞くと、実際はその場に複数人いて、相手のお母さんが言われた内容についても別の子のやった行動だったそうですが、知人情報を信じ込みうちの娘にだけ怒りの矛先が向けられてしまっていることに、正直戸惑いました。
でも、いじめは「いじめられた」と感じたらいじめですので、娘に事実確認したあと、謝罪しました。
学校にも、うちから報告しました。
その後、うちの娘はなかよしグループから離れました。一緒にいると、いじめられたと言われてしまうからです。
そうすると、そのなかよしグループだった友だちから悪口を言われるようになりました。
直接電話が来ていないなかよしグループの保護者たちは、今も学校内で娘がいじめをしていることを知らないと思います。
私も学生時代にひどいいじめを受けていました。
主犯格の人のことは今でも許せないし、不幸になればいいと思ってしまいます。
主人は「我が子がいじめる方より、いじめられる方がマシ」と言いますが、それは違うと思います。
学校内でおきていることは、保護者は誰も直接見ておらず、子供の言うことを信じる他にありません。
教育現場に、担任だけでなく、専門家を複数人配置して見回りをするなど、もっと大人の目を増やして欲しいと思います。
年齢が上がれば上がるほど、子供も隠れて悪事を働く知恵が出て来るので。。。
漫画として好きになれたわけではなかった。
だが、いじめを題材にした中で、これほど誠実な作品には出会ったことがなかった。
いじめが漫画の中で扱われる場合、誤解を恐れずに言えば、それは基本的にエンタメの道具である。
過酷ないじめからの苛烈な復讐からのカタルシス。
まあ、それはそれでいい。
いじめをエンタメだなんて、不謹慎な!というポリコレ派の怒号が聞こえてきそうだが、そんなこと言ったら、ほとんどのミステリは殺_人エンタメだっつーの。
この漫画は、そういう作品群とは決定的に袂を分かつ。
本作は作品の中でほとんど何も解決しないし、いじめの被害者と加害者、どちらの味方もしない。
「いじめられる側の味方」にならなければ、エンタメとしてのいじめ作品は描けない。
加害者の親、被害者の親、どちらもムカつく、という非難はよくわかる。
加害者の母親は自身がいじめられた過去から娘への嫌悪感を抑えられず、娘と向き合えない。
被害者の母親は娘が不登校になったことから加害者への恨みを募らせ、歪んだ復讐心から暴走していく。
父親たちはどちらも役に立たない。
教師はもっと役に立たない。
おいおい大人たち、しっかりしろや、と。
それは、そうなんだけど。
いじめを外から眺めている限りにおいて立派なことが言える大人たちも、自分の子どもが被害者に、あるいは加害者になったとき、それほど立派ではいられないのではなかろうか?
本作が示したかったのは、いじめに直面したときに多くの大人たちが持ち得る弱さであり、醜さなのだと思う。
その中で、被害者の母親が最後に辿り着く「自分の子どもが絶対に加害者にならないと言い切れるのか?」という気づきは、とても残酷で、でも、素晴らしい。
犯罪を巡る論議になる度に、必ず見る意見がある。
「自分の家族が被害者になっても、同じことが言えるのか!」というやつである。
これ以上ない正論だが、私はその意見が嫌いだ。
わかりやすいし、破壊力があるが、想像力を停止して反論を封じるだけのずるい意見だと思うからだ。
悲観的な物言いになるが、いじめがなくなることは多分ない。
悲しいことに、解決策もないのかもしれない。
だだ少なくとも、被害者を、そして加害者を、真摯に見つめることによってしか何かが始まることはないのだと、本作から感じたのはそんな覚悟だったし、その覚悟を、私はとても美しいと思った。
Xで作者様をフォローしていて、こちらの作品を知りました。私自身、お恥ずかしながらいじめられた経験もいじめに加担してしまった経験もあります。胸が痛くなりながら読みました。もっと多くの人に読んでもらいたい
私自身、小学生の頃に壮絶ないじめにあっており、自殺をも考えた事すらありました。母が校長先生に相談し(担任は頼りない為)1ヶ月間校長先生と勉強をしました。周りが手を差しのべてくれたことと、担任がベテラン先生と交代しクラス自体も落ち着き無事、戻る事ができました。今の時代とちがってSNSなどなく、いじめも収まり、仲良い友人が出来た事で6年生までちゃんと学校に通えました。それでもいじめを主導していた女の子には今でも会いたくありません。それこそ、40年以上たってますが忘れる事などないのでしょう。加害者の気持ちはわかりませんが、被害者の気持ちはわたしには私ります。ただ、大人になって「私いじめられた事あるの。」と言える事はあるでしょう。でも「私、いじめをしてたの」とは言えないでしょう。「いじめられても頑張って大人になった私」は自慢?出来てもその逆はムリでしょう?
それが答えです。いじめなんてしてはいけません。
イジメが原因で自殺というニュースを見る度に込み上げる複雑な思いから、この漫画を手に取りました。
うちの子もイジメを受けた経験があります。
漫画と似ていると思ったのは、本当のいじめっ子はターゲットを変えて楽しんでいる…という描写。
漫画の結末はリアル過ぎて救いない話で痛かったです。
フィクションとはいえ、登場人物の子どもたちの幸せな未来を祈ります。
うちの子の場合ですが、あまり大事にしたくなかったので
学校に相談した際にクラス替えを希望しました。
学年が上がる際に希望通りクラス替えして頂いたのですが、
それでも執拗に嫌がらせをされていました。
それに気がついた新しいクラスメイトが先生に告発してくれました。
新しい担任の先生は真摯に対応してくださり、
クラス全体でイジメを見逃さない空気を作ってくれて
うちの子は救われました。
後日談ですが、
イジメの主犯格の子のお母さんは
体育館の陰でその子に膝蹴りをする姿が目撃されてました。
イジメは許されるものではないかもしれませんが
子どもたちが幸せだったら
イジメなんて起きないのだと思います。
全ての子どもたちが幸せでありますように⭐️