4.0
醜い大人、美しい覚悟
漫画として好きになれたわけではなかった。
だが、いじめを題材にした中で、これほど誠実な作品には出会ったことがなかった。
いじめが漫画の中で扱われる場合、誤解を恐れずに言えば、それは基本的にエンタメの道具である。
過酷ないじめからの苛烈な復讐からのカタルシス。
まあ、それはそれでいい。
いじめをエンタメだなんて、不謹慎な!というポリコレ派の怒号が聞こえてきそうだが、そんなこと言ったら、ほとんどのミステリは殺_人エンタメだっつーの。
この漫画は、そういう作品群とは決定的に袂を分かつ。
本作は作品の中でほとんど何も解決しないし、いじめの被害者と加害者、どちらの味方もしない。
「いじめられる側の味方」にならなければ、エンタメとしてのいじめ作品は描けない。
加害者の親、被害者の親、どちらもムカつく、という非難はよくわかる。
加害者の母親は自身がいじめられた過去から娘への嫌悪感を抑えられず、娘と向き合えない。
被害者の母親は娘が不登校になったことから加害者への恨みを募らせ、歪んだ復讐心から暴走していく。
父親たちはどちらも役に立たない。
教師はもっと役に立たない。
おいおい大人たち、しっかりしろや、と。
それは、そうなんだけど。
いじめを外から眺めている限りにおいて立派なことが言える大人たちも、自分の子どもが被害者に、あるいは加害者になったとき、それほど立派ではいられないのではなかろうか?
本作が示したかったのは、いじめに直面したときに多くの大人たちが持ち得る弱さであり、醜さなのだと思う。
その中で、被害者の母親が最後に辿り着く「自分の子どもが絶対に加害者にならないと言い切れるのか?」という気づきは、とても残酷で、でも、素晴らしい。
犯罪を巡る論議になる度に、必ず見る意見がある。
「自分の家族が被害者になっても、同じことが言えるのか!」というやつである。
これ以上ない正論だが、私はその意見が嫌いだ。
わかりやすいし、破壊力があるが、想像力を停止して反論を封じるだけのずるい意見だと思うからだ。
悲観的な物言いになるが、いじめがなくなることは多分ない。
悲しいことに、解決策もないのかもしれない。
だだ少なくとも、被害者を、そして加害者を、真摯に見つめることによってしか何かが始まることはないのだと、本作から感じたのはそんな覚悟だったし、その覚悟を、私はとても美しいと思った。
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