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作品レビュー
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1 - 10件目/全107件

  1. 評価:5.000 5.0

    実を結ばないその花は

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    たまらなく悲しいけれど、心を洗われた。
    そんな読書体験は、なかなかあるものではない。

    まず、序盤から中盤にかけては、事件を巡る登場人物たちの証言と人物像がそれぞれ食い違い(特に被害者の恋人のキャラクターが、被害者の言と主人公の言で全く違う)、このあたり、サスペンスとして非常にスリリングで、抜群に面白かった。
    これは現代版&漫画版、芥川龍之介の「藪の中」だと思って、ワクワクした。
    何しろ芥川の「藪の中」は本当に真相が「藪の中」という作品だが、さすがに本作がそんな結末を迎えるとは思えず、着地点がどこになるのかな、と。

    後半、物語が「藪」を抜けてからは、事件の全貌がゆっくりと見えてくる。
    主人公の意図が明らかになり、「何があったのか」と「何が起きようとしているのか」がバランスよくシンクロしてゆく中で、物語は様式美すら漂うくらい綺麗に、しかし、悲しみに満ちた終幕へと向かってゆく。

    はっきり言って、主人公の「行動」には、リアリティーもクソもない。
    しかし、その執念、その情念、そして、ある特別な時代にしか持ち得ない友への強烈な思慕、そのリアリティーは、あまりに鮮烈で痛切で、「出来事」の噓臭さなんて吹き飛んでしまった。
    こういうのが、フィクションの真の力なのだと私は思う。

    タイトルの「徒花」という言葉は、咲いても実を結ばずに散る花を示す。
    何てことだ、タイトルからして伏線だ。
    しかし、実のところ本作は、咲いても実らなかった、ではなくて、実らなかったけれど、確かに咲いたよね、という物語ではなかったか。
    それは、主人公の「これでいい」という言葉と完璧に呼応する。

    エピローグのラストシーンが、信じられないほど素晴らしい。
    もちろん、見事な作画が前提にあってのことなのだが、このラストは、小説でも映画でもなく、漫画でなければ駄目な気がした。
    子どもを守ろうとしなかった大人、子どもを守れなかった大人、そして、子どもを守れなかった子ども。
    誰一人許されないようなもの悲しい世界の真ん中で、このラストシーンにだけ、唯一、本物の赦しがある。
    それはほとんど奇跡と言って差し支えないほどに、ただ静謐に、それでいて気が狂ったように、あまりにも美しい。

    • 303
  2. 評価:5.000 5.0

    これ以上は、何も

    ネタバレ レビューを表示する

    前近代的な村に赴任してきた主人公の駐在が、村の人間が人を喰っているのではないかという疑惑を追うサスペンス。

    カニバリズムの異様性が醸し出す不穏な緊張感と、「八つ墓村」的な村の閉鎖性が煽る緊迫感、このダブルパンチがなかなかスリリングで、一気に読ませる。

    絵も、作品との相性はばっちりで、ちょっと劇画の香りを漂わせつつ、抜群の迫力がある。
    特に、登場人物の表情の雄弁さは素晴らしい。
    泥臭く、破壊力があって、しかも、繊細だ。

    主人公の娘が口をきけない理由、布を被った謎の大男(横溝正史の「犬神家の一族」へのオマージュかもしれない)、「後藤家には関わるな」という村の掟の秘密など、ストーリーの随所に魅力的なアイテムが散りばめられており、文字どおり、一部の隙もない。

    また、サスペンスでありながらなかなかドラマチックでもあり、特に、妻と娘を先に村から逃がして自分は村に残ろうとする主人公の決意のシーンは素晴らしい。
    こういうのって、普通だと「いや、逃げたらええですがな」という突っ込みどこなのだが、そういう「お約束」的な文脈を超越した、作品としての気高さに、私は泣いた。

    ストーリーの面で、何と言ってもポイントが高かったのは、あくまで皆「人間」という枠内で作品を編み上げた点だ。
    こういうタイプの作品は、往々にしてゾンビやらのモンスターが怪異の正体になる傾向にあり(別にそれを全否定するつもりもないのだけれど)、正直、途中までは「どうせ村人がゾンビ化しますんやろ?」と思いながら読んでいたのだが、いい意味で、完全に読み誤っていた。
    人を喰う村がある、というだけの設定から、よくぞここまで築き上げたと、手放しで称賛せずにはいられない。

    そして、村人たちの造形も、単なる異常者、ではない。
    時代に取り残された村という小さな世界の中で、また、因習と血脈というある種の呪いの中で、それぞれの村人が死に物狂いで何かを守ろうとしながら生きる姿もまた、私の胸を打った。
    主人公、その家族、村人たち、捜査関係者、その全ての姿を、思いを、真摯に描こうとする、作者の立ち位置が美しい。

    完璧だ。
    私は、サスペンス漫画に、これ以上は何も望めない。

    • 298
  3. 評価:5.000 5.0

    夢の後で

    二十年前、オリジナルの金田一少年が大好きだった。
    あらゆる意味で、私にとって特別な漫画だった。
    漫画のキャラクターの中で、本当に友達のように感じられたのは、金田一君が最初で最後だったんじゃないかと思う。

    本作の中で、金田一君は、私と同じように歳をとっていた。
    かつての金田一ファンからの厳しい声は、もっともであるとも思う。
    「わざわざ37歳にした意義を感じない」、
    「金田一の歳のとり方に魅力がない」、
    「17歳から進歩がない」、
    「17歳ならいいけどこんな37歳は嫌だ」、
    「美雪と結婚していないことに失望した」、
    「金田一の人生に夢がない」、
    そういう批判、全て、理解できる。

    でも、どうだろう。
    37歳になった私たちは、かつて自分が思い描いていたほど、立派な大人になれただろうか。
    野球部のエースはメジャーリーガーとして海を渡っただろうか。
    クラスのマドンナは大女優になっただろうか。
    「いや、漫画なんだから、もっと夢があってもいいじゃん」。
    そうかもしれない。
    しかし、この金田一は、もう少年漫画ではない。
    夢に向かってどう生きるか、という漫画である必要はないと私は思う。
    夢の後をどう生きるか、という漫画であっても、いいのではないか。
    だって、ほとんど全ての人々にとって、「夢の後」の人生の方が、ずっと長いのだから。

    いつの間にか、周囲の期待からも漠然と描いていた夢からも遠く逸れて、私たちはそれでも、あの頃とは別の何かを懸命に守ったり、日々の中から小さな幸福を拾い上げたりしながら、生きているのではなかろうか。
    私には、敏腕探偵にもエリート刑事にもならなかった金田一君が、ブラック企業の中間管理職を務めるクソ面白くもない日常の中で、埋もれたり流されたりしながら、それでも必死にもがいて、懸命に生きようとしているように見えた。
    それは、いつの間にか37歳になった私の姿であり、私たちの姿であるような気がした。

    「もう謎は解きたくない」、あの金田一君がそんなことを言うなんて、余程のことがあったのだろう。
    だが、ある意味では、私たち皆がそうだ。
    二十年の間に、皆、色々あったのだ。
    でも、ともかく、生きている。

    私も、金田一君も、かつて持っていたものの多くを失い、残されているのは、欠片くらいのものかもしれない。
    でも、欠片はまだ、残っている。
    ならば、その欠片が、全てではないか。

    • 182
  4. 評価:5.000 5.0

    ミステリと呼ばないで

    今まで読んだどんな漫画とも明確に違う。
    面白すぎてびびった。

    基本路線はミステリでありながら、話はどんどん脱線していく。
    主人公の整(ととのう)君が、関係ないことをしゃべりまくるせいである。
    事件の取り調べを受けている最中だろうが、バスジャックの人質になろうが、唯我独尊で脱線しまくる。
    何だこいつは。

    しかし、この脱線が、たまらなく魅力的である。
    本線から遥かに逸脱した会話が楽しい、という意味では、タランティーノの映画のような漫画である。
    とにかく整君の呑気なしゃべりが、いちいち鋭く、深い。
    人間や社会に対して、独自の視点でもって、目からウロコの核心を提示するその洞察の見事さは、私の文章ではとても説明できない。
    これはもう、読んでもらうしかない。

    それでいて、「本線」のミステリ部分も、「脱線」を邪魔しない程度にサラッとしていながら、パリッと筋が通っている。
    このバランス感覚の素晴らしさ。

    ミステリのようで、ミステリではない。
    ミステリではないようで、ちゃんとミステリでもある。
    ミステリ、と呼ぶのは何かピンとこない、ミステリじゃない、と切り捨てるのも何かもったいない。
    ミステリが好きな人にも、苦手な人にも薦められる快作。
    誰にでも迷わず薦められる漫画なんて、私にはほとんどない。

    • 618
  5. 評価:5.000 5.0

    イーブン

    夫婦に限らず、男女の関係は、一見すると「そんなの夫が(ないし妻が)悪いじゃん!」という物事も含め、その責任は、イーブンなのではないか、と思う。
    というか、イーブンということにするべき、ではないかと思う。
    どうであれ、お互いに、お互いを、選んだ、という責任がそこにはあるから。
    だから、作品として夫婦の問題を描くならば、そこには本当は「双方の視点」が反映されていないと、フェアではないのかもしれない。
    そういう意味で、この漫画は素晴らしかった。

    妻に共感する人が多いだろうと思う。
    かといって、この漫画は「夫が悪い」と断罪しているわけではなく、夫婦がそれぞれの思いや価値観を抱えながら少しずつすれ違っていく様を、丁寧に、丁寧に描いている。
    目に見えて近づく破綻が、やけに静かで、悲しい。
    手っ取り早く読者の注目を引くなら、妻をさらっと不倫に走らせて、性的な描写をさっくり入れればいい(昨今の多くの漫画がそうするように)のだが、そういう安直な手段に流れていない。
    そこに、作品としての気概みたいなものを感じたし、非常に好感を持った。

    私は一人の夫であるが、幸い、この漫画のような問題からは遠い場所にいる。
    ただ、ひとつ思ったのは、この漫画の夫にとって致命的なのは、性生活の問題以上に、「向き合おうとしない」ことではないか、ということだ。
    要するに、彼は「向き合いたくない」人間なのだと思う。
    そしてその姿勢は、夫婦の関係として、別に間違っているわけではない。
    なぜなら、夫婦とは多分、正面から「向き合う」ための存在ではなく、「横に並んで」歩いてゆける相手だからだ。
    本質的には、文字どおり「向き合って」することよりも、横に並んで眠ることのほうが、大切なのかもしれない。
    けれど、その歩みが、ずれてしまった場合には。
    どちらかが進みすぎたり、遅れたりした場合には。
    立ち止まって、歩み寄って、向き合わなければならないときも、来るだろう。
    きっと、そこから逃げてはいけないのだ。
    少なくとも、愛している、と言いたいならば。

    • 737
  6. 評価:5.000 5.0

    空気を読む私たち

    「KY」が流行語になったのは2007年だった。
    その頃からだ、世の中で「空気読めよ」とやたら言われ出したのは。
    ただ、そんな流行語が出来るはるか昔から、「空気を読む」文化は日本では当たり前のものだった。
    どんな文化にもいい面と悪い面があるが、「空気を読む」社会の無言の同調圧力みたいなものに、息苦しさを感じている人は多いだろうと思う。
    だから、凪が共感を呼ぶ。
    私もそうで、凪とはまるで違う人間なのに、非常に共感を持った。
    これは漫画としてすごいことだと思う。
    キャラクター個人の問題を超えて、時代とか社会とかを切り取るのに成功した、ということだから。

    でも、難しい。
    「空気を読むことより大事なことがある」という気づきは素晴らしいけれど、読まなくてはいけない空気の外の世界で、より大事な何かのために生きるのは、簡単じゃない。
    そもそも、その「大事な何か」がよくわからなかったりして。
    そんな、厳しい戦いの物語として私は読んだ。
    本気で凪を応援したくなった。
    中島みゆきの「ファイト」でも歌ってやりたくなった。
    「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。ファイト!」って。

    そして、我聞の位置づけが素晴らしい。
    駄目な男と思いつつ、私は我聞も応援したくてしょうがない。
    彼はある意味、空気を読む達人だ。
    その才能が、彼を営業部のエースにした。
    でも、一番大切な人の空気、読めてないやんけ、と。
    だから、駄目男。
    そうなんだけど、多分、我聞にとっては、唯一、凪だけが、空気を読まなくていい相手だったのではなかろうか。
    その甘えは、駄目だけれど、もう一度、チャンスを与えてやれないか、と。
    そういう意味では、空気を読むことをやめた女と、空気を読め過ぎるくせに一番大事な空気が読めなかった男の、すれ違いの恋物語でもある。

    あー、二人とも、何か、すげー幸せになってほしい。
    漫画を読んで本気でそんなふうに思ったことは、私にはあまりない。

    • 367
  7. 評価:5.000 5.0

    祭りの前の怖さ

    今のところ、だが。
    幽霊も吸血鬼も出てこない。
    狂った、というほど異常な人間も見当たらない。
    何より、まだ、何も起きていない。
    なのに、怖い。
    平坦にすら見える日常が、怖い。
    そこに、どうにも破綻の予感がして仕方がない。
    何かとんでもなく不幸なことが、いずれ起こるに違いない、という予感的な怖さ。
    不穏、という言葉が一番近いのか。
    でも、それでも足りない。
    これは、漫画でしか描けない種類の怖さである気がする。

    この作者は、「漂流ネットカフェ」や「ハピネス」のような、現実の枠を超えたストーリーよりも、日常を舞台にする方が、本領発揮となるのではないかと感じた。

    余談だが、群馬県出身の私にとっては、登場人物たちの群馬弁はすっと入ってくるし、郷愁を誘われるものであった。
    ちょっと得をした気分である。
    だが、その郷愁すら、うすら寒い恐怖を連れてくる。
    何てことだ。

    この怖さは、素晴らしい。
    これからきっと、何かが起こるのだろう。
    そうなったときにも、どうか素晴らしい漫画であってほしい。
    「祭りは準備をしているときが一番楽しい」などというが、それを超える祭りがこの先にあることを願ってやまない。

    • 105
  8. 評価:5.000 5.0

    この世とあの世と死役所と

    「この世」と「あの世」の間に設けられたモラトリアムのような世界を舞台に綴られる、様々な人間たちの死に様と生き様。

    まず、ひとつひとつのエピソードの完成度が非常に高く、読み手に喚起する感情も実に多様だ。
    温かさ、哀しさ、怖さ、悔しさ、切なさ、やりきれなさ。
    死の物語でありながら、そこにあるのは、私たちが生きてゆくことにまつわる全てであるように思う。
    いかに死んだかということと、いかに生きたかということは、ある意味では、きっと、等価なのだろう。

    また、基本的には短く完結する短編集的な作品でありながら、死役所の職員たちの背景を少しずつ描いていくことで、読者の関心を持続させているのもポイントが高い。
    特に、シ村の生前に何があったのか、という謎の吸引力は素晴らしく、これほど続きが気になるオムニバスもあまりないだろうと思う。

    • 278
  9. 評価:5.000 5.0

    こんなホラーにはきっと二度と逢えない

    金が必要な二人の女子が様々な裏バイトに手を出すのだが、毎回そのバイトがホラーである、という漫画。

    あまりに凄い作品で、脳が何かしらのダメージを受けたような気さえした。
    これ以上のホラー漫画というのを、ちょっと思いつけない。

    恐怖の題材とその語り口も、また、恐怖描写そのものも、オリジナリティーとバリエーションが突出している。
    ホラー漫画は結構読んできたが、どこでも見たことがない、というホラー表現をこれだけ連発された記憶がない。

    それでいて、グロ描写には全く依存していない。
    本作はホラーを「気持ち悪い」にも「痛い」にもすり替えない。
    ただただ、愚直なまでに、あるいは崇高なまでに、「怖い」で勝負しようとし、そして、圧勝している。

    恐怖に殉ずる。
    その気高さと、圧倒的な自信と、技術。

    主人公二人のゆるい雰囲気と、硬質なホラー描写の絶妙なバランスといい、はっきり言ってセンスの塊のような漫画だし、あまりに完成されすぎていて、ホラーとは別の意味で、何だか怖い。
    読む者すら拒絶するような完璧さを感じてしまう。

    この世に、まだ私の知らなかったホラー表現がこれほど豊富にあったことに、そして、それがたった一人の人間によって生み出されているという事実に、私はホラーファンとして、心の底から感動した。

    ホラー漫画が本当に怖かったのなんて、子どもの頃だけだ。
    もうあの気持ちは永遠に戻らない。
    それは、ずっとわかっていた。
    わかっていて、それでも私は、惰性のような愛着だか愛情だかを捨てきれずに、ホラー漫画を読み続けてきた。

    この漫画に感動できたのは、数多のホラーを読み漁ってきたからこそだ。
    これが初めて読んだホラー漫画だったなら、私はここまで深く何かを感じることは出来なかった。

    幼い頃のような恐怖は味わえなくても、何度飽きても失望しても、ホラーを読むのをやめなくて、本当によかったと思った。

    ホラー漫画を読んでそんなことを感じたのは初めてだし、二度とないだろう。

    • 87
  10. 評価:5.000 5.0

    幸福な読者体験

    今更だが、「流行っている殺し屋の漫画」ということ以外、何も知らずに何となく読み始めた。
    結果的には、事前に何の情報もなく読めたことが幸運だったとしか言いようがない。

    全く新しいジャンルに、というか、ジャンル分け不能の斬新さに、度肝を抜かれた。
    何だこれは。

    天性の殺し屋でありながら、一年間のモラトリアムみたいな期間を与えられた男。
    彼を巡って暗躍する魑魅魍魎たちの世界を描いたアンダーグラウンドのリアリティーに溢れるスリリングな作品でありながら、同時に、「ズレた男」の日常を綴る一流のギャグ漫画だった。
    そんなのが完璧に両立するなんて、信じられない。
    読みまくった今でも、信じられない。

    ただ、その根っこは、同じだと思った。
    裏社会のバイオレンス漫画としてのリアリティーを支えているのも、奇妙なコメディとしての抜群の完成度を支えているのも、根っこは、同じだ。
    それは、多分野に対する圧倒的な造詣の深さと、観察力、何より、ヤクザもカタギも超えた、人間に対する理解の深さだと思う。
    いったいどんな人生を送ってきた作者なのだろう。

    個人的に気に入ったのは、主人公が「日常」をとても慈しんでいる点だ。
    殺し屋稼業に生きてきた彼にとっては、私たちにとって当たり前に映る、ともすれば退屈な日常が、特別で、尊い。
    このあたり、普通に生きている今日、同じようにやってくる明日をどう受け止めて生きるか、ということについて、さりげないメッセージが流れているような気もした。
    私は、彼の平和な日常が、いつまでも続いてほしいと願った。
    しかし、一年が過ぎたら殺し屋に戻るのか、という質問に、彼は迷わず、特に何の感情も込めず、そうする、答える。
    それしか出来ないから、と。
    生きてゆくということは、きっと誰にとっても、容易ではないのだ。
    かつて、麻雀の神様が書いていた。
    誰だって、自分の持っている能力と全く無縁で生きてゆけるほどの余裕はないんだ、と。
    そういうことを、この漫画はあくまでサラッと描いている。
    そこがスマートだし、カッコいい。

    嗚呼、何も知らずに読めて、幸せだった。
    ときどき、素晴らしい作品との出会い、プラスアルファで、タイミングという運が重なって、私たちには、とても幸福な読者としての体験がやってくる。
    私にとっては、「ザ・ファブル」が、それだった。

    • 85
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