4.0
地獄のサバイバル
昨今流行りの有象無象のサバイバル漫画とは、一線を画すレベルの高さを感じる。
「ルール」はあるものの、よくある「ゲーム」的なタッチではないところに、新鮮さがある。
村に「地獄」が出現する、という設定の大胆さ、「ゾンビ」などではない、和風の異形のもののおぞましさ。
「蜜の島」でも感じたが、この作者は世界観を整えるための描き込みがとても丁寧で好感が持てる。
今後に期待の良質スリラー。
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昨今流行りの有象無象のサバイバル漫画とは、一線を画すレベルの高さを感じる。
「ルール」はあるものの、よくある「ゲーム」的なタッチではないところに、新鮮さがある。
村に「地獄」が出現する、という設定の大胆さ、「ゾンビ」などではない、和風の異形のもののおぞましさ。
「蜜の島」でも感じたが、この作者は世界観を整えるための描き込みがとても丁寧で好感が持てる。
今後に期待の良質スリラー。
自分は、後味の悪い作品が好きでもないし、嫌いでもない。
そこは、どちらにしても評価のポイントではない。
後味を悪くしてまで描く価値のある何かが、そこにあると感じられたか。
それだけ。
その答えが「イエス」だったから、「ミスミソウ」は星を五つつけた。
本作は、残念ながら、「ノー」だった。
上手く言えないが、「後味の悪さ」は「結果」であって、それが「目的」になってはいけない気がする。
一応のストーリーはあり、どこでどう繋がるのかという面白さもあるのだが、それは本質ではなく、この漫画には、もっと瞬間的に、感覚的に、ゾッとさせるものがある。
ストーリーで怖がらせるのではなく、わけがわからないままに、何か、怖い、と感じさせること。
それこそが、ホラー漫画らしさ、というものではないかと思う。
嗚呼、タイトルが素晴らしい。
読んでいて気分のいい漫画ではなかったし、人に薦めようとも思わない。
しかし、これほど壮絶な作品には、ほとんど出会ったことがなかった。
半自伝的な漫画なのだと思う。
イメージとして(浅野いにおはこういう形容を気に入らないかもしれないが)、私は太宰治を想起した。
ちなみに私は、太宰が嫌いである。
書けない作家の苦悩、というモチーフだと、私は「バートン・フィンク」という映画が大好きなのだが、あれは、コーエン兄弟が作家としての自意識をかなりオブラートというか、創作の衣に包んで提示した作品なのだろうと思う。
作家はそれで正しいのだと私は思うし、私のそういう趣味みたいなものは、太宰を嫌う理由と無関係ではないと思う。
だが、本作で浅野いにおがやったことは、その百倍あからさまで、激烈である。
それは、自意識を作家性の中で表現する、というレベルの行為ではなく、血だらけになりながら紙面に自意識を塗りたくるような営みであったように思う。
浅野いにおは、この漫画を描きたくて描いたわけではない気がする。
描くべきだと思ったわけでもない気がする。
ただ、描くしかなくて、描いたのではないか、と。
私は、そんなふうに思った。
ラスト近く、サイン会のシーンで、主人公の漫画に救われたと涙ながらに語る熱心なファンに対して、「君は何にもわかってない」と主人公は言う。
これほど絶望的で、これほど美しいシーンをほとんど知らない。
私は何となく、浅野いにおはこういう描き方をしない(ないし出来ない)作家だと思っていた。
きっと私も、「何にもわかってない」読者の一人なのだろう。
ただ、浅野いにおが本作で試みたことが、勇気などという言葉では表現できない、命がけの行為であったということだけは、わかっているつもりだ。
だから、もう、それだけで。
浅野いにおの試みが、成功したのか、失敗したのか。
それは作家としての飛翔だったのか、墜落だったのか。
その是非も価値も、私はもう、問わない。
主人公は牧師で、連続殺_人犯に息子を殺されて信仰を捨てる。
色々あってその犯人の娘を養子に迎えることになるのだが、娘は「父親は犯人ではない」と訴える…というようなストーリー。
牧師の主人公が聖人君子ではなく、生前の息子への接し方など、あくまで弱さや不完全さを持ち、後悔を抱えて生きている、という点はリアルでよかった。
が、他はマジで何もない。
重いタイトルが示すような、信仰を巡る葛藤というテーマは全く掘り下げられることなく、ミステリ的な部分はグダグダ、いやもうこれ、相当酷い。
設定以外のストーリーが何も決まっていない状態で連載が始まってしまったのではないかとすら思った。
もしかして本当にそうなのか?
そんなことあんの?
まず間違いなく打ち切りエンドだけど、これは正直、しょうがないな。
まあ、ある意味、好きな作品が打ち切られるより、納得の打ち切りの方がずっとマシだ、とも言える。
個々のストーリーはちょっと小粒な印象を受けるものの、まるで一枚のコンセプトアルバムのような世界観、ポップでキュートな独特のホラーテイストは、なかなか魅力的だった。
現代的なセンスに溢れる作品だが、センスだけで適当に転がしたような無機質さはなく、この作品世界がきちんと愛情をもって構築されているが感じられて、好感度は高かった。
アルバムで言ったらボーナストラックでありリードトラックでもある、というような位置づけの「リビングデッド・ベイビー」はやはり頭ひとつ抜きん出ていて、素晴らしい。
気づいたら身体にガチャがついていた、という主人公のバトルギャグ漫画。
丁寧だし、新しいし、ある部分「ガチャの時代」である現代にマッチしているし、いい完成度のギャグ漫画だとは思うのだけれど、何故だか全く入り込めなかった。
変な言い方だが、面白いはずなのに、笑えなかった。
こういうのはもう、我々の出会いが不運だったと言う以外にない。
特にギャグ漫画はたまにこういうことがあるからマジで困る。
仮に私がギャグ漫画の作者だったとしたら、「いい漫画だけどイマイチ笑えない」と言われるより、「マジで下らないけど笑える」と言われる方が、百倍嬉しいだろうな、というような不毛なことだけを、私は考えていた。
私と作品の出会いというガチャは、外れたのだ。
うーん、あんまり上手いこと言えてねえな、今の。
ギャグ漫画からゾンビ漫画にシフトチェンジする話。
私はこういう漫画や映画を「ジャンル崩壊系」と呼んでいる。
例えば、という例を挙げること自体がネタバレになってしまうので、漫画の具体例を出すのは避けて映画にするが、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」なんかがそうである。
ちなみにあれも、この漫画と同じで、途中からいきなりゾンビ映画にジャンルが変わる。
この手法はサプライズを得やすい代わりに、一定のリスクがある。
上手く決まれば、いい意味で「騙された!」という爽快感をもたらすのだけれど、基本的に人は「そのジャンル」を望んで足を踏み入れているわけだ。
例えば、「ラブストーリーかと思ったらホラーじゃん!」という作品があったとするが、そもそも、ラブストーリーを手に取る読者はラブストーリーが読みたいと思っているわけである。
その先行した願望を超えて、「でも、面白かった」と思わせられれば成功だけれど、「いや、ラブストーリーが読みたかったんですけど」と白けられてしまうリスクは常にあるよ、ということだ。
だから、先の例で言えば、本来ホラーを読みたい人に読んでもらえるのがいいわけだけれど、ホラーを望む読者は一見ラブストーリーに見える作品を手に取らない、というジレンマが生じる。
「いや、これ実はホラーで」というのはネタバレになるからもうアウトなのだ。
そういうわけで、色々と難しい手法だと思う。
それだけに、ジャンル崩壊系の作品を楽しめたときには、他では得られない種類の感慨があったりするのだけれど。
まあ、色々書いたけど、本作はそういうことを論じられる次元にない。
私は書くことがなかったから、書いただけだ。
本当に酷い。
序盤は一応ギャグ漫画の体裁なのだが、申し訳ないけれど、これがもう、形容の仕様がないくらいつまらない。
それがただ、ギャグに片足を突っ込んだ状態のまま、これまた絶望的につまらないゾンビ漫画に移行する。
私は読んでいるうちに自分のあらゆる感情が死んでゆくのを感じたし、だから、ジャンルが崩壊しようが何しようが、サプライズもクソもなかった。
サプライズというのも感情であるから、感情の死んだ読者となった私には、もはや何も感じられなかった。
人間でない生き物が人間を殺めることに、私たちはどう向き合えばいいのか。
例えば、ヒグマが人を殺してしまう、というような問題は現代でもあるわけで、自然保護とか動物愛護とかいう側面の問題と、人間にとっての脅威という問題のバランスやその歪さ、処分するしかないだろうという正論と、そもそものきっかけを作った人間側にそんな権利があるのかという極論と、自然保護なんて人間ありきの偽善でいいのかもしれないし、とか、そもそも人間だって自然の一部なんだし、とか、まあ色々と難しくて、私なんかにはよくわからない。
ただ、いずれにせよ、「罪」という観念自体が人間の創出した架空の産物であって、人間以外が人間に対して何をしようが、実のところ、我々はその「罪」を誰にも、というか何にも問えないのだ。
というようなことが、この漫画のテーマとして、あったのかな、というか、うーん、あったのかもしれないな、とは思った。
というのも、そのテーマ性みたいなものが、あまりに作品の前面に出てこない。
正直、これは難しいところで、あまりにそれを目立って語りすぎると、説教臭い、という空気を生んでしまうのだが、それにしたって薄すぎやしないか、という思いは終止つきまとった。
先に私が書いた諸々も、「深読みしすぎだろ」と言われたら、「まあそうかもね」と思ってしまう。
私自身、自分の妄念かもしれないと疑ってしまっている有様である。
それじゃ、仮にテーマがあるにせよ、読者には届かないだろうよ。
上記のテーマは、「寄生獣」でも扱われているのだが、一種のメッセージ性と、語りすぎないドライな側面と、「寄生獣」はやはり絶妙だったな、と思った次第である。
あと、タイトルの話だが、別に「蠱毒」じゃなくね?というのは、どうにも気になった。
事故死して幽霊となったいじめられっ子が、自らの「幽霊の才能」を活かし、悪人を脅かしまくる、という話。
生粋のホラーではなく、ギャグに振り切るでもなく、ほのぼのとしたテイストの漫画である。
主人公は人を脅かす度にRPGのようにレベルが上がり、「ラップ音」「髪伸ばし」「巨大化」などのスキルを身につけてゆく。
この「幽霊のスキル」という発想はなかなか面白く、作品にいいリズムを与えていると思った。
また、生きている間は決して満ち足りたとは言いがたい生活を送っていた主人公が、幽霊となってからイキイキしている様子も、心地よく読めた。
どす黒い復讐心に燃えたり、悪意に染まってゆくわけではなく、人間らしい弱さと優しさを持ったままであり続ける彼女の好感度が、作品を支えている。
いじめを扱った漫画に陰惨な復讐譚が多く見られる中、本作は、とても優しい作品である。
痛みを知る人間は、なかなか悪人にも悪霊にもなりきれない、それが現実に近いのではなかろうか。
そのぶん、悪く言えば甘さやぬるさはあるのだが、人格破綻者レベルのいじめっ子すら憎みきれない主人公の、ある種の弱さや甘さが、私はわりに好きであった。
設定により、一部のジャンルや作品が非表示になっています