2.0
作りものの悪意
夫の実家である田舎に引っ越した妻が、ひどい目に遭う、という話。
雑な紹介だが、雑な紹介しかする気にならない。
作品が雑だからだ。
「こういう夫」というのは、実際にいるのだろう。
「こういう田舎」というのも、実際にあるのだろう。
本作ほど極端ではないにせよ、そういうものに苦しめられている女性が世に多くいることにも、別に異論はない。
ただ、私は、作品を成立させるためだけに作り出されたような、ステレオタイプの悪意というものが、好きになれない。
私は田舎の生まれである。
それが本作を好きになれなかった理由ではない。
ただ、例えば旧習が残る田舎町であっても、その実情というのは、もっと言えば、そこに血の通った人間たちが生きているという事実は、本作で表現されたような単純な図式ではない、とこの目で見て知っている、と言いたいだけだ。
「ミシシッピー・バーニング」という映画がある。
公民権運動の時代のアメリカ南部、黒人差別が色濃く残る地域で、それこそ、ステレオタイプの差別的な人々がたくさん登場する。
しかし、自らの夫である保安官の黒人殺しを告発し、夫とその仲間から苛烈な暴力の報復を受け、夫が逮捕された後には怒れる黒人たちによって家を滅茶苦茶にされたフランシス・マクドーマンドは、主人公のFBI捜査官に「これからどうする?」と尋ねられて、「ここで生まれたんだもの。きっとここで死ぬわ」と答えるのである。
それから、「ここにはいい人もいる。(美容師である)私のパーマが好きな人もね」と続ける。
田舎で生きるというのは、例えばそういうことである。
感情的に聞こえるかもしれない。
「別にあなたの田舎を非難しているわけじゃない」と言われるかもしれない。
嘘を吐くな。
だったらどこの田舎を非難しているのか、言ってみろ。
それが明確でない以上、本作で描かれているのは誰かの町であり、僕の町なのだ。
フィクションであれ何であれ、それを否定的に描くならば、もう少し、覚悟と誠意を持ってやってくれ。
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