3.0
死ぬ気で愛して
主人公二人の罪を容易に肯定できるかは別として、作品のスタート地点では、私は二人に幸せになってほしいと願った。
私は阿呆なロマンチストであるから、独善的であれ何であれ、愛を応援してしまうフシがある。
しかし、である。
読み進めるにつれて、二人を応援する気持ちは薄れていった。
これは、他作品との比較で申し訳ないが、「私の正しいお兄ちゃん」という傑作を読んだときとは全く逆の感情の動き方だった。
なぜだろう。
「私の正しいお兄ちゃん」のレビューの中で、私は、主人公の二人が、嘘も秘密も欺瞞も罪も、全て受け止めて背負って、必死で許し合おうとしながら、互いのことだけは失うまいと、懸命に生きている、という意味のことを書いた。
それが愛し合うってことなんじゃないか、と書いた。
本作の二人は、違う。
ものすごく冷たい言い方をすると、覚悟がない。
二人が上手くいかないのは、基本的に、互いの過去の傷のせいだ。
それにまつわる、自らの弱さのせいだ。
その弱さに対しての向き合い方が、なってない。
自分の弱さとの向き合い方というのは、二つしかないと思う。
あくまでそれを克服するために努力をするか、弱さを愛するか、どちらかである。
どっちにしたって楽じゃない。
でも、本作の二人には、そのどちらにも必死になっていない。
ちょっと雑に言えば、自分の弱さに、流されているだけだ。
たから、受け止めることも背負うことも許し合うことも守ることも、どこか浅薄に感じられてしまう。
何というか、もっと必死で愛そうとしてほしかった。
何となくの幸運で続けてゆけるほど、あなたたちが選んだ愛は甘くないよ、と思った。
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